あの頃の父の年齢にいま自分がなってみて、その無念さがよくわかる。いくつで死んでも、この世への未練を断ちきるのは容易ではないだろうが、着実に「その日」は近づいているし、時間の過ぎ去り方も早まるばかりのようだ。この先、右に行くのか、それとも左なのか、やるのかやらないのか、迷うことがでてくれば、「その日」のことを思い浮かべればまた違った答えがでるかもしれない。
しかし何といっても、残りが少なくなる一方にも関わらず、無駄にしてしまうのが「時間」というもののようで。結局、残り数滴になるまで無尽蔵のように貪り散らしてしまうのかもしれない。わかっちゃいるんだけれども…
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