2016年7月29日金曜日

裸族

日本にも裸族がいるそうだ。家では裸で過ごすことを習いとする人たちで、一人では無論、家族同士も裸、たとえ年頃の娘がいても、娘含めて全員裸。こういう家に招かれて面食らった人の話を読んだことがあるが、素っ裸でご飯を食べたり、テレビを見たり、まったく普通に生活しているそうだ。家族内だけでの秘めごとというものではなく、「ご遠慮なく。あなたもどうぞ」とばかり、まことに大らかなあけっぴろげ振りだったらしい。

さて、盛夏。一人暮らしだと誰はばかることなく裸で過ごせるが、せいぜい上半身のみ。睡眠の質が上がるので寝るときはせめて全裸でと思うのだが、もし大きな地震や火事になったら、とか、夜中にぽっくり逝ったときに全裸だと…とか、泥棒が来た時に「ちょっと待ってくれ。パンツを」では様にならない、とか、いろいろ考えていまだ果たせない。一度やってみたらすごく快適で、なんでいままでこんなものを穿いていたのか、ということもありそうだが。蚊帳を吊って全裸で寝る、ニッポンの夏を楽しむちょっとした贅沢になるかも。



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2016年7月27日水曜日

丹那三年

ここにきて三年がたった。悪徳不動産屋ふうにこの土地を売り込むとこうなる。

1)新幹線二駅利用可(熱海、三島)、東京までは50分。普通電車でのんびり相模、湘南の海を眺めて行くもよし。反対側の車窓に広がるのはみかん畑。丹沢の山並。
2)富士絶景。世界遺産を自宅の窓から。
3)至る所に温泉湧出。伊豆箱根、修善寺、熱海もすぐ。海に近し、山にも近し。
4)美術館・博物館多し、芸術の香り高き森に囲まれて住まうよろこび。
5)駿河、相模で捕れたての海の幸、酪農の里・丹那の地の物を毎日の食卓で。
6)豊かな自然環境に囲まれた静謐の里。聴こえてくるのは野鳥のさえずり、目に映るは山野草。
いかがですか。都会を離れ、セカンドライフを悠々と。人生を満喫する舞台、丹那。丹那はあなたの夢を広げる楽園郷…。

いずれもウソではない。しかし美点ばかりを並べると実体から離れる。リアルは別にある。絵の巨匠が言っている。
「綺麗に描こうとするな!」



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2016年7月26日火曜日

健康なんてラララ

「世に老人は数多い。だがそれは自分のことではない」例えば75歳のひとでもそう思っているのではないだろうか。よくよくのことがない限り、ひとは老いを受け容れないような気がする。「人による」なんて言ってしまえばそれで終わりだが、死ぬことと一緒で、いつか死ぬことは自明のこととして分かっていても、自分には関係ないことのようにして毎日を生きている。これを続けてずいずい生きていくと、老いも死も、他人事のようにうっちゃって、あるところまでは行けそうだ。

このお気楽主義の障害になるのが健康診断、現実に引き戻される嫌味な制度だ。測定項目もやたらと増えて、正常値を外れるとチェックが入り、注意観察やら再診(再検査)、要治療などの判定がくだされる。ここ数年、毎年再検査送りとなって、その度に大きな病院へ出向いての診察となる。結果は決まって「しばらく様子見で…」。この一言を覚えていれば医者が務まるのではと思うほどの定番の常套句を頂戴する。人間、半世紀以上も生きていればいろいろありまする。言われなくてもずっと様子見で生きていますって。

健康は影のようなものかもしれない。前を向いてぐいぐい歩いていると後から黙ってついてくるが、気にして追いかけると逃げ出す。


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2016年7月25日月曜日

やまゆり

丹那の山はやまゆりが満開の時期を迎えている。毎年、梅雨の終わりから夏本番にかけての半月あまり、山野草の主役となる。ここに暮らし始めたのがちょうどやまゆりの咲く頃で、それまで比較的珍しいものと思っていたこの花がその辺の道端に普通に咲いているのでびっくりした。山道の斜面や半日陰の雑木林、人家の庭先など、雑草だらけの中からたくさんの蕾や花のついた茎をたわませ、石垣の隙間から長い首を伸ばしている「根性ゆり」もある。あたりには洋菓子でも焼いているような、甘い香りが漂っている。

ゆりの花は目立つので、ひとが採掘して持って行ったり、百合根はうまいので、イノシシが掘り返して食べてしまったりで、天然のものは随分減っている。ここがこれほどの繁殖地になったのは、繁殖の適地(山)に人が住むようになって、天敵(この場合、採取者とイノシシ)が活動しづらいせいかと思う。ツバメと一緒で、ひとと共生することで繁殖のための環境を得ているようだ。


たった一本で花束

2016年7月21日木曜日

昼寝

夏は昼寝に限る。農家では、昼間は暑くて仕事にならないので、昼ごはんの後はどの家でもたいてい昼寝をしていた。だから昼下がりの田舎は、外から人の姿が消えてひっそりしている。親が寝るものだから小さい子供もつきあわされるのだが、親は早朝から用事で動きまわり昼にはぐったりだろうが、子供は眠れたものではない。それでもいやいや横になっていると、遠くの山で鳴くキジバトの長閑な声が聞こえてきたりして、いつの間にか眠ってしまう。

最近では会社などでも昼休みを活用した昼寝を奨励したり、昼寝スペースを提供する昼寝屋のような業態もできている。公園脇の樹陰では、外回りの営業マンや個人タクシーのドライバーなどがクルマの中で寝ているのを見かけることも多い。都会の夏は気温が下がらず寝苦しいので、昼下がりにどうしても一服したくなるし、ちょっとでも眠れると後の仕事が違ってくる。夏の昼寝こそ値千金なのだ。

※定着スプレーの不具合で水玉ができてしまった。なんとなく雰囲気にあっているような。


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2016年7月15日金曜日

面倒な世代

若い頃は60歳といえば「文句なしに老人」だと思った。孫がいてもおかしくないし、55歳あたりが定年だったから、押しも押されぬ爺さん婆さん年代という認識だった。いまその年令になってみると、自分たち世代の呼称として納得がいくものがない。老人、高齢者、お年寄り、まるでひとごとのようだ。熟年、実年、アラ還、ピンとこない。シニア、シルバー世代、リタイア族、片仮名だと抽象化されて実感が薄れるのでまだましだが、逃げているという感じもする。
他の世代からみたら、「その辺でいいじゃないの」と適当に片付けたくなるだろうが、当事者としてはもっとこう、味わい深くて聞こえも良い、座りのいいのがないのか、と思ってしまうのだ。心身ともに老境に入る前の踊り場(年齢というより気の持ちようかもしれないが)というのは、ひと色に染めきれない微妙な色調を伴う。

岩崎宏美が歌った「思秋期」という歌がある。少女からおとなへ移っていく年ごろの哀愁を歌ったもので、「少女=思春期」と対になっている(阿久悠作詞)。これを譲ってもらったらどうだろう。この移ろう感じがいいのだ。ぎらぎらした夏でもなく、かといって秋でもない。そういう季節というのは、どこかもの寂しく、そこはかとない風情が漂う。ふと立ち止まって人生を思う、そんな60歳にこそふさわしい言葉だ。思春期と思秋期、人生に二度ある、季節の大きな変わり目。
ただ、文字にするときれいだが、音がよくない。検索しても「歯周、死臭…」ろくなものが出てこない。すぐに誤変換されてそっちが定着しそうだ。



                                  じいじじゃいけないの?      
0706 girl


2016年7月13日水曜日

としごろ

きのうの昼、ピンポンが鳴ったので玄関に出たら、若い警官が立っている。里の駐在所から年に一回ペースでやってくる定期巡回だ。
「お変わりないですか?」「花泥棒とか出ませんか?」緊急時の連絡先などを書いて出した個人票を見ながらそう尋ねる。
「最近この周辺でも高齢者の交通事故や振り込め詐欺が増えていまして…」と言いながら、パンフレットや地域ニュースを紹介するプリントをくれるのだが、“高齢者”という言葉を気にしたのか、「いや、この辺りでもこういう事件が発生しているということで…」と、あなたを高齢者として認知して注意を促したわけではなく、あくまで地域ニュースとして、というニュアンスの言葉を慌てて付け足した。

気を使わせてしまった。むしろそれがこたえる。微妙な年頃になったものだ。

                 
                              すっごい微妙なんだから
0705 Japanese GEISHA girl

2016年7月12日火曜日

川端康成

川端康成には凝視癖があり、その印象をいろいろな人が書き残している。ある女性編集者が川端を訪ねた時、黙って30分近くこの凝視に会い、たまりかねて泣きだした。泥棒が布団の中にいる川端の凝視をくらって逃げ出した。孫ができた時も川端がじっと見つめると怖がって泣いた、など…
寡黙のひとでもあって、人といて、長い沈黙が流れてもまったく気にする様子はなかった。初見のとっつきにくさは超人的だったが、人の面倒見がよく、絶妙の間合いを保つ社交家でもあったことから、彼を慕う人が多く集まる場もあったらしい。

寡黙と凝視は初対面の人に強烈な印象を与える。いつからか、このふたつは失礼とされ、悪意や嫌悪、拒否のあらわれと見なされることも多い。通常、人といて、長い沈黙が許されるのは気を使う必要のない余程親しい関係に限られるし、対戦直前の格闘技のような強い視線を相手に投げかけることなどない。その代わりに人は沈黙を恐れてやたらとおしゃべりになり、目は一点に留まること無く動きまわる。寡黙も凝視も、特別なものになった。山にいると普通だが…



0630 YASUNARI KAWABATA

2016年7月11日月曜日

ガンジー(Gandhi)

梅雨ばて。そんな言葉があるのか知らないが、そんな現象はあるはずだ。実際この身に起きている。雨が降ったら湿度は80%を超えるが、足先などは裸足ではちょっと冷えを感じる程度に気温が下がる。晴れると一転がんがん照りで、外は蒸気釜のように蒸れ立ち、室内でもエアコンや扇風機なしではどうにもならず、夜、暑くて布団なしで寝たら朝方に冷えて目が覚める。蒸れたり冷えたり熱したり、こういうことを繰り返していると、すっかりタコのようにぐんにゃりとなってしまった。気象の変化にからだが追いつかないのだろう。倦怠感、不眠、嗜眠(昼間眠い)、とにかく何もやる気が起きない。

子供の頃は素行が悪く、ヒンドゥー教で禁じられている肉食をするは、タバコ代ほしさに盗みはするは、いわゆる「ワル」一直線だったガンジー。とんでも無い破天荒がのちに偉大なリーダーに化けるという例は日本の歴史にも少なくない。跳ねっ返りが収まって丸くなるという、社会適合の世間知は普通に見られる成長の成果だが、時代は時に破壊と創造に向けたエネルギーを燃焼させ続ける怪物を産むようだ。



0629 Gandhi

2016年7月9日土曜日

アインシュタインも濡れる(Albert Einstein)

アインシュタインといえば舌を出した剽軽な写真が有名だが、本人はきわめて生真面目な学者で、滅多に人前で笑うことはなかったようだ。カメラマンに「笑って!」とリクエストされ、思わず笑いそうになり、慌てて笑顔を引っ込めた時にあの顔が現れたという。照れ隠しだったのかもしれないが、歴史的な一枚になった。
アインシュタインは死後火葬されたが、脳だけは解剖した担当医がひそかに保存、その切片は各地で展示され、日本でもある研究者の手元に保存されているらしい。

静岡・函南・丹那。朝から雨。きょうは一日、雨。梅雨終盤。



0628 Albert Einstein

2016年7月7日木曜日

せみ

蝉が鳴きだした。丹那の山ではまずニイニイゼミが最初に鳴き(6月末)、少し遅れてヒグラシ(7月初)。やや間があって盛夏の主役はアブラゼミ、ミンミンゼミ、晩夏はツクツクボウシ。里に下るとクマゼミがいるようだが、この周囲ではあまり聞かない。

昆虫食をする人がいて、本も出ているが、中でも蝉はうまいらしい。羽化前の幼虫は唐揚げが絶品とか、成虫も羽根をむしって醤油のつけ焼きにすると香ばしくていける、などとある。このあたりになるとさすがに中国で、幼虫は煮付け、揚げ物、炒めもの、何でも美味、成虫を集めて茹でて、すりつぶし、味噌と和えた蝉味噌というのまであるそうで、まったく普通の食べ物という感すらある。

自衛隊にはサバイバルのための特殊訓練があって、昆虫食のレシピも研究されているらしい。カマキリ、カブトムシ、クワガタ、カミキリムシなどは序の口。クモはチョコレートの味、シロアリはナマで美味しく、ムカデは唐揚げ、桜の樹にいる毛虫はエビの唐揚げの味とある。逆に食うべからずはホタルとナメクジ。ホタルは発光部が毒で、ナメクジは下痢、発熱が起きるそうだ。何かの引用なのか、体験の蓄積があるのか不明だが、極限状態では昆虫は貴重な栄養源ということらしい。

いつも脱線、今日も脱線。何のブログやら分からなくなってきた。絵は早描きで、ぱっぱと描いてみた。





2016年7月1日金曜日

隠居

子供などが一人前になると身代を譲り、自分は隠居してのんびり過ごす。古くからそういう習わしが武士階級や商人にあった。譲るべき身代があるというのは恵まれた境遇に違いないが、現世で得た利得のポジションを譲り渡す背景になっているものは何だったのだろう。

ひとつはお家の継承に対する責任が想像以上に重くのしかかっていたということ。家長としての役割を立派に果たすことが人生最大の命題であり、それが出来て初めて「私」の生があるという認識だったから、なるべく早く役目を果たし終えたいという意向が働く。こんな重くて鬱陶しいバトンは早く渡してしまいたいという衝動もあっただろう。生きるか死ぬかの戦国の世は知らず、戦乱が絶えて久しい泰平の時代が長くなると、それなりに社会の秩序も固まり、人生の見通しが効くようになる。「お家もここまで無事にきたし、人生五十年、ここらでそろそろ…」という俯瞰が可能になっている。

そしてもうひとつ、古い時代の日本人の精神の底には、俗世を離れ風流に生きることへの強い憧れがあった。その時代の気分として、閑寂の里に小さな庵でもこしらえて、ゆっくり茶でものみながら余生十年、好きな俳句でも楽しめたらそれで十分、欲望に溺れず、足るを知るの自制と美意識もあった。当時の日本人の価値観には、隠居しての侘び住まいがひとつの理想形として写っていたのだろう。
茶の湯が様式になって道具立てに金のかかる大名道楽になってしまったが、本来風流は清貧のもの。持たず、追わず、ひっそり静かに自然の前に身を置いて、人生究極の楽しみを見つめた古人たちの先例が、「いつかは自分もあのように」となって隠居への背中を押したのだ。

いまの世はグルメ、ゴルフ、温泉、海外旅行、酒、クルマ、おしゃれ、美容、ギャンブル…と欲望のタネは尽きず、金はいくらあっても足りない。周囲に欲望と刺激が溢れてくると、常に満たされることのない渇きが広がっていくように、隠居などといった風流な文化は世に廃れ、晩節を顧みない老害がはびこる。



               玉は引っ込んどれ
0623 Japanese SHOGI player