2016年7月15日金曜日

面倒な世代

若い頃は60歳といえば「文句なしに老人」だと思った。孫がいてもおかしくないし、55歳あたりが定年だったから、押しも押されぬ爺さん婆さん年代という認識だった。いまその年令になってみると、自分たち世代の呼称として納得がいくものがない。老人、高齢者、お年寄り、まるでひとごとのようだ。熟年、実年、アラ還、ピンとこない。シニア、シルバー世代、リタイア族、片仮名だと抽象化されて実感が薄れるのでまだましだが、逃げているという感じもする。
他の世代からみたら、「その辺でいいじゃないの」と適当に片付けたくなるだろうが、当事者としてはもっとこう、味わい深くて聞こえも良い、座りのいいのがないのか、と思ってしまうのだ。心身ともに老境に入る前の踊り場(年齢というより気の持ちようかもしれないが)というのは、ひと色に染めきれない微妙な色調を伴う。

岩崎宏美が歌った「思秋期」という歌がある。少女からおとなへ移っていく年ごろの哀愁を歌ったもので、「少女=思春期」と対になっている(阿久悠作詞)。これを譲ってもらったらどうだろう。この移ろう感じがいいのだ。ぎらぎらした夏でもなく、かといって秋でもない。そういう季節というのは、どこかもの寂しく、そこはかとない風情が漂う。ふと立ち止まって人生を思う、そんな60歳にこそふさわしい言葉だ。思春期と思秋期、人生に二度ある、季節の大きな変わり目。
ただ、文字にするときれいだが、音がよくない。検索しても「歯周、死臭…」ろくなものが出てこない。すぐに誤変換されてそっちが定着しそうだ。



                                  じいじじゃいけないの?      
0706 girl


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